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ホンギソン監督映画5選。

勝手な思い入れがあったから
悲しいです。

監督の映画5作品について
書いてあるこの記事。
読んだら涙でました。


ホンギソン監督、
ありがとございました。











ホンキソン監督映画5選
この社会に投げかけられた重い問いかけ




2016.12.17





あまりにも意外だった
ホン・キソン監督の死。

ホン監督は来年初めの封切を目標として
映画「일급기밀一級機密」の撮影を終え、
その編集作業のさなかの急死だった。

映画「イテウォン殺人事件」後、
8年ぶりに発表する長編映画だった。

映画「一級機密」は、
一級軍事機密にまつわる軍内部の不正事件を暴く、
という内容の映画だ。

パククネ政権による文化系への弾圧の雰囲気のなか、
(映画への)投資家を見つけるのが困難となり、
しばらくストップしていた製作が、
やっと仕上げの段階に突入し、
期待を集めていたところに届いた悲しい報せだった。


困難を通り抜けて、
8年ぶりに自分の作品を
世間にリリースしようとしていたが、
完成を見ずにして亡くなったホン監督は、
その命の最期の瞬間まで、この社会に対して
重い質問を投げかけ続けた。

ホン監督は1980年代の映画運動を通じて、
映画界に足を踏み入れてからずっと、
社会に向けて、問いかけを投げかけてきた。

そして、
そういうホン監督の問いかけの多くは、
この社会が抱える、もっとも痛い部分に向かっていた。

それはつまり、
分断とアメリカ、に象徴される
われわれの社会の矛盾、だ。

ホン監督がシナリオを書いた1989年の作品
「오! 꿈의 나라(ああ。夢の国)」は
光州事件を本格的に扱った最初の長編映画であり、
この映画のなかで、
光州(クァンジュ)流血鎮圧の
背後にあったものとして、アメリカを挙げている。

これ以降、
映画「選択」
映画「梨泰院(イテウォン)殺人事件」
等を通して、問いかけは続いた。

社会に向けられた
このように重い問いかけが、
映画資本から歓迎されることはあり得なかった。

通常ならば
2~3年に1本程度のペースで
新作映画が発表されるものだが、
彼の場合は、
投資家や製作会社を探すことすら困難だった。

その結果、
1980年代から映画界で活動してきたにもかかわらず、
彼の名が刻まれた映画といえば、指で数えるほどしかない。

1992年、
映画「가슴에 돋는 칼로 슬픔을 자르고」で、
映画評論家協会新人監督賞と脚本賞を受賞して
監督デビューしたものの、
続く長編映画「選択」ができるまでには
11年の空白期間が必要だった。

それだけ、
韓国社会に向けられた彼の問いかけは、
この国の既得権勢力や資本にとって
見過ごせないものだったのかもしれない。

重い重い彼の足跡は、
量としては多くのものを残せなかったが、
その足跡の深さ、そして、
その意味は決して小さなものではない。

ホン監督が、
この社会に向けて投げかけた、重い問いかけに
触れることができる映画5作品をここで紹介しよう。





「오! 꿈의 나라」(1989年)

光州(クァンジュ)抗争を本格的に扱った
初めての長編映画だった。
当時の映画専攻大学生たちが
集まって作った映像集団‘장산곶매’が
16ミリで撮影した劇映画だ。
ホン監督は、この映画のシナリオを書いた。

光州抗争が武力鎮圧されるなか、
ジョンスは戒厳当局の捜査をくぐりぬけて、
故郷の兄テホを探して東豆川を訪れる。
テホは全南(チョンナム)大学生で、
光州抗争での活動のせいで追われる境遇だった。
テホは米軍部隊のバーで働いくが、
その本業は米帝の品物商売だ。
ジョンスはテホの部屋に居候して、
米帝の品物商売を手伝う。
そんななかで、ジョンスは、
アメリカと自分自身に対する省察と苦悩を続ける。

映画は、
光州と東豆川を並列で連結している。
光州抗争の背後にアメリカの存在を示している。
その明らかなテーマ意識と当時の時代環境があわさって、
「오! 꿈의 나라」は合法的上映が不可能な映画だった。
許可なく上映した、という理由で、
製作者と劇場の代表が告発されることもあった。
大学街では、この映画を見るために、
警察と激しいにらみ合いを繰り広げる、など、
この映画を見るだけでも、
権力に対抗する、ということを意味した。




「가슴에 돋는 칼로 슬픔을 자르고」(1992年)

ホン・キソン監督の長編デビュー作だ。
現代版奴隷船と呼ばれる海老釣り船に乗ることになった
船員たちそれぞれの脱出への熱望を描いた映画で、

この映画で
ホン・キソン監督は百想芸術大賞シナリオ賞と
映画評論家協会新人監督賞と脚本賞を受賞した。

そして男性主人公を演じた俳優
チョ・ジェヒョンは青龍映画祭男新人賞を受賞した。

木浦の船着き場に流れてきた
ジェホ(チョ・ジェヒョン)は、ペシルを救いに通う。
紹介業者オ社長(ファン・ビョンド)のおかげで
仕事場を見つけたジェホは、
それが海老釣り船であることを知らず、その船に乗る。

家出少年、孤独な老人、そして強盗前科者などが
共に船で生活することになる。
そこに馴染めないジェホは、
船からの脱出を試みるが、失敗して殴打されてしまう。
その後、ジェホは、船頭の言うことを聞き、
船主と船長からの信任を受けるようになる。
そうして、船員を監視して、
脱出計画をたてることになる。

これは、
映画界で多くの注目をあびた作品だ。

韓国社会の現実を
隠喩的に取り込んだこの作品を通じて、
彼は韓国リアリズム映画の新しい可能性を示した、
という評価を受けた。

韓国社会に投げかける彼の重い問いかけに対する
当時の既得権勢力からの圧力は凄まじいものだった。

1991年、
映画振興公社の事前製作支援作として決定したものの、
それを白紙にされる、など、製作には困難を究めた。

製作が終わった後は、
検閲によって相当部分がカットされる、
という屈辱を経験することになった作品だ。





「選択」(2003年)

0.75坪独房に45年の歳月を
閉じ込められなければならなかった人がいる。

非転向長期囚として、
45年間監獄に閉じ込められていた世界最長期囚、
キム・ソンミョン先生だ。

映画「選択」は、
45年の歳月にも折れることがなかった
信念の最長期囚、
キム・ソンミョン先生の実話を基に作られた。

この映画は2003年、
釜山国際映画祭で観客賞を受賞した。

1951年、国防警備法に基づいて、
15年の刑を宣告されたキム・ソンミョンは、
2年後、スパイ疑惑が追加されて死刑の宣告を受け、
その後、減刑される。

ソウル拘置所から
麻浦(マポ)刑務所、
大邱(テグ)、大田(テジョン)、
木浦(モクポ)、そして再び大田へ。

1995年、
キム・ソンミョンは、
光復節特別赦免で自分が解放される、
という思いがけない消息に接する。

だが、このときすでに、
彼の年齢は70歳。
すでに、監獄のなかで、
青春から老年までのすべてのときを
過ごし終えた状況だった。

この映画は、
個人の良心を弾圧して、
無慈悲な拷問にかけることで
転向を強要した国家権力の素顔を見せる。

刑務所内のチンピラ雑犯を利用して
無慈悲な拷問をくわえ、
狂ってしまう者あり、自殺するものあり。
彼らの人生は破壊される。

その、凄まじい拷問の瞬間瞬間と、
暴圧的な強要の中でも、
良心を守り抜いた人々の姿を
実によく表現した映画だ。

この映画のシナリオは、

ホン監督の夫人であるイ・メンウ作家が書いた。

イ作家は、
シナリオを書くために、
非転向長期囚の先生たちが生活する”出会いの家”
を訪ねて行き、直接仕事の手伝いなどをして、
彼らの過ぎさった時間を執拗に取材した。

数十年を監獄の中ですごした彼らが、
簡単に心を開くことはなかったが、
長い時間をともにするうちに、
彼らは少しずつ、その本心を語り始めた。

そして、
彼らの貴重な証言は、
そっくりそのまま映画の中に描かれている。






オムニバス映画「3つめの視線」中
1作品「나 어떡해」(2006年)


国家人権委員会の製作によるオムニバス映画
「3つめの視線」(2006)の中の1作品、
「나 어떡해」は17分の短編映画だ。

この映画は、
現代社会においてもっとも疎外され差別されている、
非正規職の労働者の物語だ。

工場でフォークリフトを運転するトさん、という熟練工。
だが、トさんの業務経験も、熟練度も、なんの意味もない。
彼が正規職員ではないからだ。

作業着で区別されている正規職員と非正規職員。
非正規職員は、法で決められた休暇はもちろん、
労働を継続するに最低限必要な休憩時間すらとることができない。

母親が突然倒れた、という報せを受けても、
休暇をとれないトさんは、
せめて、母親のために祈ろう、と
会社の資料室で聖書を借りようとするが、
それすらも「正規職員ではない」という理由で
拒絶されてしまう。
結局、非正規職の息子をもった母親は、
息子に会うことも叶わず、最期の息をひきとる。


母親の訃報に接しても、
家に戻ることができない非正規職労働者の話は、
悲しいかな、映画や主節の中だけの話ではないのだ。

この映画は実話を基につくられている。
対策を講じないままに、非正規職員を量産する
当事の政府や企業に対して問題提起すると同時に、
非正規職労働者たちの日常的な痛みが
どれほど深刻か、を直接的、写実的に描写して
関心を集めた。






「イテウォン殺人事件」(2009年)

製作中の映画
「一級機密」の製作完了を見ず
亡くなったホンキソン監督にとって、
「イテウォン殺人事件」は
その最後の長編映画として記録されることになった。

この映画は、

ホン・キソン監督の映画の中で、
最も大衆からの認知度が高い作品だ。

大衆的な関心を集めた作品、とはいえ、
やはり、この映画も、
社会に向けたホン監督のメッセージを忠実に含んでいる。

2005年から始まった
「イテウォン殺人事件」プロジェクトは、

2006年、
釜山国際映画祭でMBCムービー賞をはじめ、
映画振興委員会の企画開発費支援作品に選ばれて、

以後、2008年末には、
映画振興委員会HD支援長編作として選ばれ、
辛くも撮影することができた。

とはいうものの、
全体の総製作費が15億ウォンという低予算映画。

この程度の金額で商業映画をつくる、
ということがどれほど無謀な挑戦だったかは、
計り知れない

「イテウォン殺人事件」は、

1997年4月3日に発生した実際の事件を基に作った作品だ。

無念の死を遂げた韓国青年がいたというのに、
容疑者2人はなんの処罰も受けないまま終わった事件、
として、

韓米関係の不公平さ、など、
多くの苦悩を私たちに投げかけた。

映画の準備にあたり、ホン監督は、
当時事件に関わった当事者のほとんどに
直接会って、取材をすすめ、

故チョ・チュンピルさんの遺族はもちろん、
実際のパク検事、
当時彼らを弁護した弁護士、
解剖検査員、

などとのリアルなインタビューを通じて、
当時の事件を写実的に再現するように
あらゆる努力を注いだ。

そして、最終的にこの映画が、
アメリカに逃げた容疑者パターソンを帰国させ、
法廷たたせるきっかけとなった。

パターソンは去る9月、
2審で懲役20年の宣告を受けた。




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ホン・ギソン監督、7年ぶりの新作『一級機密』公開控えて15日に死去






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ホンキソン監督の訃報に接し、
映画「イテウォン殺人事件」関連で
自分で翻訳したもののなかで、
まっさきに思い浮かんだ記事は ↓ でした。

  イテウォン殺人事件、当時の彼らは今…




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 → 映画「イテウォン殺人事件」関連の日記まとめ







by aloetree | 2016-12-18 20:16 | イテウォン殺人事件。

JKSさん酔狂。


by aloetree