グンソクくんと日本のうなぎが創ってきたもの 二の巻
2012年 09月 08日
いろいろ回想してたら、すごく長くなっちゃいそうで不安になってきた。
自己満足ブログだからまあいいんだけど、疲れそう。。。
ちなみに、
ファンだから、たくさん贔屓目で見ちゃうけど、
全部が全部なんでもOKではないのです、一応
自分の嗜好的には、○○はナシだよなー、もある。
が、それらを軽く凌駕する、グンソク氏の個性・・・
ま、いいや。。。
個人的に印象の強かったこと中心に、歴史年表つくろうっと!
あくまで日本内だけでの出来事年表ですが。
◆ 2011年のもろもろ (〜2月以前は省略して〜)
グンソク氏のアクション=青字
〈3月〉
14日 東日本大震災をうけ、日本赤十字社へ寄付。
15日 3/23予定のシングルCD「Let Me Cry」発売延期
15日 3/27予定のShowCaseLive中止発表。
17日 4/9予定のアコースティックライブ延期決定。
地震当時、欧州で仕事をしていたグンソク氏。
「仕事が終わったら被災地ボランティアへ行く」との意向を示す。
日韓スタッフの判断でボランティアは自粛。
ファンクラブを通じて、チャリティグッズづくり、販売。
このときの、チャリティブレスレット。今も日本くるたび着用してるなあ
〈4月〉
27日 約1ヶ月遅れで、CD「Let Me Cry」発売。
〈6・7・8月〉
6月28日 写真集発売記念公開記者会見(インパクト強かったー)
そのまま、来日つづく。「メリは外泊中」イベントなど。
インパクト強かった来日ラッシュ。
破天荒で、自由を希求する態度や、ファンに対する率直さが、新鮮でした。
予想外の直球をなげるスタイルは今も変わらない気がする。
当時、マスコミでの心ない報道もちらほらあり、心がいたかったのも、この頃
〈9月〉
東京へおしのび旅行。twitterでおしのびの日々を綴る
確か、いろいろいろいろあった8月末〜9月初旬でした。
でも、休日を利用して、日本でたのしそうだった姿は素直にみていて、たのしかった私
〈10月〉
アリーナツアー@あちこち!
伝説の、プリンス姿。すごい昔のことみたいだー。
アレが好みかどうかは別問題として、あの評価の中、あれをやり通しちゃう精神、
うらやまかったような
〈11月〉
26日 東京ドームコンサート! (東日本大震災孤児へ。あしなが育英会へ寄付)
まさしく、うなぎとグンソク氏。一緒につくった伝説のライブと今も思う。
スタート前のうなぎ発信のWAVE。忘れられない。もちろん王子姿も。
自分の知人アーティストを招待しての演奏には、彼のボーダレス精神を感じた
〈12月〉
クリスマス。ファンクラブ会員にむけてDVD発送。
なにげに、コレすごいうれしかったやつ
・・・2011年。やっぱり思い出深いかも。
「絆」という単語。
私、ちょっと苦手でした。
でも、ライブで「絆」のメッセージカードが降り注ぐのをみていて、
グンソク氏のきもち、ただただ、素直に、この言葉なんだな、と感じたら、はじめて受けとめられるようになった。
そのことば自体じゃなくて、発信するひとの意図こそが伝わるものなんだな、と思った。
素直な発信には、素直な反応ができる。
地震当時、宮城に縁者の多くて、数週間連絡とれなかったその頃は、JKSどころではなかった。
本当にありがたいことに、縁者たちの無事を知り、落ち着いたあと、
いろんなことがしみてきた。
2011年はほかにも、個人的に、生活がガラリと急変し、キツい1年だったけど、
そして、そういう人は、なんだかとってもたくさんいらした1年だった気がするけど、
私は、チャングンソクにずいぶん、力づけられた。
最初は現実逃避の格好の的だったともいえるけど。
率直さ、自分の責任で「自由」なスタイルを模索する姿、そしてなにより、あの明るさ。
好きだな、という気持ち以上に、こういうひとになりたいよな、という気持ちが強かった。
それは今も同じ。
2011年は、
日本のうなぎにつながろう、元気だしてもらおう、というグンソク氏の意図と、
彼の自由な個性を、素直にうけとめ伸ばそうとする、日本のうなぎの気持ちが、
たくさんの幸せな瞬間を創った1年だった気がする。
もちろん、そのうしろには、彼をいつも見守り、送り出す、韓国うなぎさんたちと
ずっとずっと長く、彼を応援しつづけた、日本うなぎさんたちの存在があったんだろうな。
だめだー。
2011年だけで疲れちゃった。
すごい適当な出来事しか集めてないのに。
三の巻=2012年は駆け足だー。
明日は超早起きでおしごと。
YOGAな1日になりそう。。。
自己満足ブログだからまあいいんだけど、疲れそう。。。
ちなみに、
ファンだから、たくさん贔屓目で見ちゃうけど、
全部が全部なんでもOKではないのです、一応
自分の嗜好的には、○○はナシだよなー、もある。
が、それらを軽く凌駕する、グンソク氏の個性・・・
ま、いいや。。。
個人的に印象の強かったこと中心に、歴史年表つくろうっと!
あくまで日本内だけでの出来事年表ですが。
◆ 2011年のもろもろ (〜2月以前は省略して〜)
グンソク氏のアクション=青字
〈3月〉
14日 東日本大震災をうけ、日本赤十字社へ寄付。
15日 3/23予定のシングルCD「Let Me Cry」発売延期
15日 3/27予定のShowCaseLive中止発表。
17日 4/9予定のアコースティックライブ延期決定。
地震当時、欧州で仕事をしていたグンソク氏。
「仕事が終わったら被災地ボランティアへ行く」との意向を示す。
日韓スタッフの判断でボランティアは自粛。
ファンクラブを通じて、チャリティグッズづくり、販売。
このときの、チャリティブレスレット。今も日本くるたび着用してるなあ
〈4月〉
27日 約1ヶ月遅れで、CD「Let Me Cry」発売。
〈6・7・8月〉
6月28日 写真集発売記念公開記者会見(インパクト強かったー)
そのまま、来日つづく。「メリは外泊中」イベントなど。
インパクト強かった来日ラッシュ。
破天荒で、自由を希求する態度や、ファンに対する率直さが、新鮮でした。
予想外の直球をなげるスタイルは今も変わらない気がする。
当時、マスコミでの心ない報道もちらほらあり、心がいたかったのも、この頃
〈9月〉
東京へおしのび旅行。twitterでおしのびの日々を綴る
確か、いろいろいろいろあった8月末〜9月初旬でした。
でも、休日を利用して、日本でたのしそうだった姿は素直にみていて、たのしかった私
〈10月〉
アリーナツアー@あちこち!
伝説の、プリンス姿。すごい昔のことみたいだー。
アレが好みかどうかは別問題として、あの評価の中、あれをやり通しちゃう精神、
うらやまかったような
〈11月〉
26日 東京ドームコンサート! (東日本大震災孤児へ。あしなが育英会へ寄付)
まさしく、うなぎとグンソク氏。一緒につくった伝説のライブと今も思う。
スタート前のうなぎ発信のWAVE。忘れられない。もちろん王子姿も。
自分の知人アーティストを招待しての演奏には、彼のボーダレス精神を感じた
〈12月〉
クリスマス。ファンクラブ会員にむけてDVD発送。
なにげに、コレすごいうれしかったやつ
・・・2011年。やっぱり思い出深いかも。
「絆」という単語。
私、ちょっと苦手でした。
でも、ライブで「絆」のメッセージカードが降り注ぐのをみていて、
グンソク氏のきもち、ただただ、素直に、この言葉なんだな、と感じたら、はじめて受けとめられるようになった。
そのことば自体じゃなくて、発信するひとの意図こそが伝わるものなんだな、と思った。
素直な発信には、素直な反応ができる。
地震当時、宮城に縁者の多くて、数週間連絡とれなかったその頃は、JKSどころではなかった。
本当にありがたいことに、縁者たちの無事を知り、落ち着いたあと、
いろんなことがしみてきた。
2011年はほかにも、個人的に、生活がガラリと急変し、キツい1年だったけど、
そして、そういう人は、なんだかとってもたくさんいらした1年だった気がするけど、
私は、チャングンソクにずいぶん、力づけられた。
最初は現実逃避の格好の的だったともいえるけど。
率直さ、自分の責任で「自由」なスタイルを模索する姿、そしてなにより、あの明るさ。
好きだな、という気持ち以上に、こういうひとになりたいよな、という気持ちが強かった。
それは今も同じ。
2011年は、
日本のうなぎにつながろう、元気だしてもらおう、というグンソク氏の意図と、
彼の自由な個性を、素直にうけとめ伸ばそうとする、日本のうなぎの気持ちが、
たくさんの幸せな瞬間を創った1年だった気がする。
もちろん、そのうしろには、彼をいつも見守り、送り出す、韓国うなぎさんたちと
ずっとずっと長く、彼を応援しつづけた、日本うなぎさんたちの存在があったんだろうな。
だめだー。
2011年だけで疲れちゃった。
すごい適当な出来事しか集めてないのに。
三の巻=2012年は駆け足だー。
明日は超早起きでおしごと。
YOGAな1日になりそう。。。
by aloetree
| 2012-09-08 23:23
| ウナギ